オレンジング
オレンジの三個わずかに色異なるさまたしかめて水際へ立つ
教会のつめたき白亜久遠なるものなしつよくオレンジ握る
さわやかさを、いのちをと声は言わんとす心からいまはオレンジを買う
白き皿にオレンジ置きて切る時をこころ確かに永遠を見よ
赤土の道かたく乾きオレンジを吸いてもかたしわが心かも
ひとの手の触れえぬ高き枝になりしオレンジさらに高き青空
オレンジの香り愛する女なりきその女愛する男なりしわれ
オレンジ買いて紙袋胸に抱きしめる湿度の高きことさえうれし
捨てがたきオレンジの種あかるさの七八センチの追憶のため
繁茂せし脳裡の悪草ふかきその根より焼くべくオレンジを吸う
オレンジ公ウィリアムの章深きより来るもの求む悪癖のゆえ
唇の乾きつのりしその週の四夜と五夜のオレンジの夢
オレンジの汁胸に散りて詩のしぶき受けしと思う 熱帯夜、無風
愛のことば語りたることなき口のままにて今朝のオレンジを吸う
食卓にオレンジとナイフのみを置く朝はやくより簡潔な妻
恢復まで
心のみはつねに地の果てにあることく海近き駅に砂踏みしめる
名を知らぬ美しき花あれどさびしさはさびしさ深く退行すべし
一瞬の胸のうちなるひそかなる死 ただ数楽章バッハ聴きたし
あまきあまきポブリの香 かの湖畔での決意の時も目を閉じていし
風鈴のくろがねの重さ はるばるとわれに吹きくる海風がある
今夜へも死なねばならぬ脳ふかき疲れを明日へ継承しつつ
人ら来て集いて去りし庭の端にわが肉体という沈黙が立つ
降らぬ雨こころの血ほど赤き色の想像力の土乾きけり
もの書かぬ日々
もの書かぬ日々過ぎてつよく雨降ればわずかに軽(かろ)き夕暮れの聞
ベンデレツキー軽(かろ)しロマン派わずらわしかかる日ペンをとらんとし止す
ふり返れば経験のなき晩夏の恋ヨットを抱きて少年も去る
出港を間近に海の七色に向かいしままであれよ心よ
数えれば無数ではない浜の砂もあなたとともに迎える朝も
雨の日の消しゴムの滓つまむ指に今ついに届くひとつの花信
書も街も捨てし頃過ぎてみな過ぎて美しつよき雨の紫陽花
書き送るべきひと死にて地中海ほどに青つよきつよき便箋
想像力二度も三度も枯れし後…… 雑音の向こうコルトーが弾く
緑の芽あざやかにふくそのひととわれの別れのはじまりの時
生卵るるるると下る食道の触れることなき浜の秋風
木星まで落ちていく速さ秘めたままふたりはなおもはっきりふたり
古書店の隅に文字追うひとの背に鮮明瞭然ジョイスが笑う
説明のわずらわしさよ夏山にただ夏山の風は吹くべし
列車来て列車に乗りてひとは去りぬひとりの胸の感じやすさよ
石にすわり文庫本読みぬ夏空よ遊ぶすべ知らぬこのところ見よ
橋に立ち瀬の音のなかに迎えれば山峡の村の闇かがやかし
新宿駅にひと満ちてここに死ぬもよしジバゴの娘われになけれど
来る日来る日純金のごときつまらなさ今日風つよく夜曇りけり
父の夢見ることは見たが…… 起きぬけのレモンジュースのうまさ冷たさ
レヴィナスいう「意識は実存の死なり」夏の昼の線路に耳を付けしことあり
うらむひと愛するひとの二三ありて灸られることく蝉を聞きおり
過ぎてゆく一日のかぜ草も木もいつまでも飽かず揺れておりけり
恋歌
十ばかりいな二十ばかり若きその清冽、可憐、蕾のおとめ
頭中将われになき夏 橋の下に寄せ来る波に恋は語らむ
ビール工場過ぐ時あつき日盛りの朱きカンナと来世契りき
大殿油ありありと見ゆ先の世のその暑き夜のあの場あの時
はじまりしもの愛と呼ばぬ娘なり曙の頬の若きつめたさ
夏の恋みのりゆく日々か川に足ひたしてわれら言葉すくなに
その日なりき今日その日なりき一本の大輪の薔薇は手折られにけり
ラヴソングス Ⅰ
陽のあたる通りをいつも選んでいく それだけだったあの頃のきみ
ディ・バイ・ディかたちをさらに超えていく今宵も月に唇焼かれ
遠くまで走り続ける風のうた起これ、一本のペンの天使の軽さ
沈む陽に赤々と川、草、小石、靴、ドレス、指も金の指輪も
恋わかき頃吹くという南東の終日の風に一日終えたり
ふたりでお茶を…… 森おわる青ことに濃き海のほとりで
ロンドン橋に霧なく今日はふたり行くいずれはかかる霧思いつつ
夜はやさし狂いゆく心ありながらゆっくりとグラス選びはじめる
奇跡いま目の前に見ゆこの顔がわれ長くながく見つめていたる
まるで恋ほとんど恋の目のひかり、唇は赤き詩神の通過
なぜぼくのすべてを取らぬ八月も九月もこころ震える聖女
愛の歌われは歌わぬ 今きみが開きし雅歌にわが歌は聞け
一晩中こころは騒ぐさわぐべく神の給いし小さかる森
夏よりもはるかに強き輝けるもの去りききみは微笑むけれど
テーブルマナー律義に守るきみは手に秋、つまり銀のフォーク持ちおり
庭園を移ろうひかりダイエット・コークの泡さえ宝石のとき
空をきみにあげようと思う夜も昼もぼくさながらにきみを離れぬ
わざときみを見ないこちらも見られない。月。森。これがゲームの規則。
頬と頬、その隔たりのうちにある億光年の震えおののき
人目避け、声ひくくまるで革命だ その上きみの赤いスカーフ
まだ言わぬことばを波に浮かばせて ぼくは待つ波の止まるその時
酒とバラの日々過ぎて海と月光の夜々きのう今日の波の静けさ
恋ふかく深くなりゆくぬばたまの黒葡萄ほどに愛(は)しきくるしみ
とけていく夜の静けさラヴソングつくるほかなき心の炎
生きることやさし花束買うまでの逡巡ののちのこころであれば
眠らぬ日眠らぬ頭かたわらにきみなきゆえに心なきゆえに
手紙待つわが胸の海うち寄せる波高くたかくなりまさりゆく
文体
チェット・ベイカー、寄せ来るかたちなき淡きあわき光の夜、ただの夜
誘う指、その震え、遠き車の灯。「これがそれか?」とランボーはいう。
変わる律、わが韻の時代(とき)。燃える風に胸をはだけるジェニー、ジャネット。
水と愛。まだ踏み行かぬ草原に大理石舗石ひとつ携え
わがひとつの、たったひとつの愛ののち波輝かしメドックの海
アラバマにまた星落ちて目にしみるAトレインの煙草のけむり
ひとり充ち実りゆくこころ自動車の走り来て去る音のやさしさ
ジュ・ルヴィアン、ラストノートに移りゆく。戻り来てなお戻りゆく夜
*「ジュ・ルヴィアン」は、比類なき完成品といわれるフレデリック・ウオルトの香水
盃のこの一杯は書架の果て、かのアンドレに、A・ブルトンに。
水ぬるくぬるさうれしき八月の某日。きみとまだ暮らしてた
紙吹雪ちりゆく時をたえずたえず確かめる匂い、アニスの匂い
カーニバルだからと乳房、山盛りのうずら丸焼き、海かくす髪
ミスタッチ。アクリルのかたき透明がきみの香りに実りはじめる
ラヴソングズⅡ
海沿いのあの白い家に着くまではかたく明かさぬアンダーカレント
ガードレール乗り出してみるあの頃が突然戻るきみが戻らぬ
チェット・ベイカーともに聴き今はぼくひとり聴く夕暮れていく湖畔の車
リテラリィ・ドッグス・ボディ図書館をいつも夜出るいつもさびしく
ぼくにむかぬ場とは知ってる向かぬ時、向かぬ振舞い、向かぬ喜び
ついていくとき欲望は遠くまで森照らし出す ぼくは森、森……
ただ逢った、それだけが理由この薔薇といま取り出したぼくの心臓
陽のあたるところにきっと待たせとく 婚礼にさえ遅れてきても
ローズマリー・クルーニーほどに輝いて きみを編み成す元素らよ、サリュ!
夜はながくながく溶けゆく赤・黄・青の原色の旗の用意はいいか?
革命の実質はきみ 新憲法制定委員会に今夜もおいで
心にも血は流れ血は若返るハウ・マイ・ハート・スィングス・トゥナイト
あの時の赤薔薇写せしモノクローム 落ち葉のごとき写真一葉
列車出てしまう時刻の湖の静謐 なにがいいかわるいか
この奇跡を愛と呼ぶまたはあかつきの薄明の浜へ行こうよと呼ぶ
会う別れる会う別れるをくりかえしわが胸の奥の奥にいるきみ
言葉、口、こころ、行い みな清く統べられていくこの目のなかへ
スターティング・オーヴァー
師は老いてその老いのさまあきらかに紅葉しゆく秋の大学
そのこともまたあのことも終わりゆく秋来る海に溶けていく足
歌うこころ長く曇りし後の空よ去りゆくときを雲はうつくし
かなしさも光から来るたぶん、たぶん夕暮れていくテールライトよ
水無瀬川われらの言葉とまるとき秋のふかさは流れ続ける
誘わずにひとりで行けばあかるくてセンチメンタル・ジャーニーの海
ひとたびも愛は語らず沖をゆくひかり見るばかり立っているばかり
夕暮れの暗さに押され背に触れるいまきみを抱くこの手のひかり
風がふく唇の端をあたたかき春の一日の夢のなかより
あたたかさ肩に流れるたたえるべき太陽のもとに訃報も眩し
腕ひかることの喜びぬぐわねばいのちの証見るごとき汗
わが友はたぶん時のみ 過ぎてゆくものみな彼の友情のさま
習慣という語みつめてそのページに左手おおきく開きて向かう
「文学を学んでいます」と懐かしさのすがたして森のなかの十八
胸に顔埋めることの自然さのやまい癒すべく吸う半熟の黄身
コーヒーの底の微量の黄金砂含まずに発つきみもわたしも
すがすがしき朝木造りの手洗いの鏡の顔のうしろの青さ
鳴く鳥の鳴き続け止みまた始む受け身の生も豊かならんか
白き紙のべてなに待つ有限の歳月貸与されしからだで
ほの青き闇の夕暮れ暮れていくこと耐えがたきまでの喜びと知れ
通り過ぎる車の速さ滅びへと急ぐ内なるものを覚ましむ
時刻表に明るきひかりただ逢いて別れることにも洗練はある
カシニョールの一枚の絵の凡庸さしあわせのためにただ色を見る
汗つよく體えしにおいの時計バンド洗いておりき夏の逝く宿
耳の底によみがえらんとする《ライン》よみがえるものはいつも紺碧
鏡見し時のあの目は美しく…… われへの旅のなかばの桜
水流れ澱みてまたも流れ出る場所きみは母の指輪継ぐなり
愛の色は赤ではないというように振るハンカチのナイルの緑
密林と大河ばかりの映画見て帰ること哀し仮りの帰りを
《スターティング・オーバー》をかける冷めた茶もかならずたぎる 再生はある
目を閉じて桃の香は嗅ぐ海と山そのうえきみが見える時さえ
山がありその山を見る見ることに癒されていくひとりの小径
ひとり歩むことの確かさあやうさも装いすべし肉桂色(シナモン)の靴
海のあの入江のあおさ失われ死に絶えるべきところなおあり
若きこと罪にあらずと思う現在(いま)風に吹かれていることの価値
コート脱ぐ玄関の暗さアフリカの飢餓のフィルムに救われている
あれほどに愛せし女語ることなくかたわらにいて「愛人」終わる
手帖ひらきペン押しあてる アルベール・カミュがわれの何処にいないか
わが真昼過ぎつと思う花の色あふれる庭に汗ぬぐう時
フランス式庭園に故意に迷わんとするなにもかも知りつくしつつ
白き雲の白見つつひとに言葉ひとつかけずおり白の音聴いており
便りなき友の背浮かぶプルーストの革装背表紙裂け始めけり
「ブライズヘッドふたたび」だけを携えて晩秋の街を抱きに出かける
ブリジット・バルドーが泳ぐ黒いほど青ふかい海のように語るね
ひとりある夜のよろこび静けさを暴力と呼ばぬことのあやまち
とりどりの色のビー玉眺めいるほかにすべなきものの涼しさ
安時計のビニールのバンドふといとおし秋暮れる浜の紫のとき
【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 12 [1992年11月15日](編集発行人:駿河昌樹 編集委員:駿河昌樹/川島克之/須藤恭博 発行場所:東京都世田谷区代田1-7-14)
参考
「雑誌Nouveau Frisson」12号編集後記より
心が短歌から離れたことはなくとも、長いあいだ作歌が実を結ばなかった。歌が枯れていたのではない、創作への自己批評が勝り過ぎていたのだ。作っては捨てるという時期が一年以上は続いていた。
ここにまとめた歌は、今年の春頃から秋にかけて作られたものである。一度崩壊し尽くした創作の勘と意志を、これらの歌を作りながら構築し直そうとした。すでに十年は短歌に関わってきたが、今回ほど短歌形式の力と、の形式的束縛がもたらしてくれる自由さとくつろぎをつよく感じたことはない。
歌の姿に関していえば、かっての表層的な晦渋さから逃れて、イメージと意味と音との独特な有機的連関へ、また、そこから来る読みの定めがたさへと向かう過程を、さらに前進させたといえると思う。
読みの定めがたさというのは、人格や思想の定めがたさと同様、人間にとっての豊かなるものの確かな存在を示す指標である。この読みの定めがたさの程度が批評基準とされることをわたしは望む。それ以外の批評を、わたしはあらかじめ嘲笑しておく。
駿河昌樹
1992年11月