1993年9月30日 全19首
もう森へあなたは行かぬその森の青き惑いにふり向きもせず
白き海暮れがたもなお白きまゝ心は旅をすでに終えたり
死をこえて香るポプリの花々よ問うてはならぬ不死の愛など
食事終わりふいに死近し卓上にこぼれし飯の数粒冷えて
あたらしき花みな散れば戻り来る花なき白きたゞ白き時
ぬばたまの闇わが肌に重き夜来世は若き結婚をせむ
波音を吸わすべくたゞ吸わすべく広げたままの夏の便箋
水に輪を描いていた人その指の水を離れるような愛撫を
耳をわが歯のすべる時なないろの海すべる風にきみは震えて
珈琲店出る時ふいに古城見ゆ十二月三日南青山
春近きあけぼのの寒さ衾中にすでに芽吹きし硬質の老い
春の雨やわらかく生きること難く花のさかりを森に迷えり
愛すでに語らぬふたつ肉体のごとく熟してしずかなる桃
過去の波あざやかに青く迫り来る故郷はひとり守りゆくべし
各停の列車のひかりさびしくてあゝなぜきみはここにいないか
からだには幾つものからだ宿るらしどの海も海思い出すとき
春のかぜきみの遠さを吹きわたるしばらくの間の肌のしずかさ
海やまにもはや向かわぬまなざしで新しき春のベケットひらく
流れゆく雲のよろこび老いてゆくからだにはまたからだの愉楽
【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 14 [1993年9月30日](編集発行人:駿河昌樹 発行場所:東京都世田谷区代田1-7-14)
※かつての編集委員の川島克之と須藤恭博は離れ、雑誌「NOUV