2020年9月9日水曜日

歌集 「白」

1993年9月30日 全19首

 


 

もう森へあなたは行かぬその森の青き惑いにふり向きもせず

 

白き海暮れがたもなお白きまゝ心は旅をすでに終えたり

 

死をこえて香るポプリの花々よ問うてはならぬ不死の愛など

 

食事終わりふいに死近し卓上にこぼれし飯の数粒冷えて

 

あたらしき花みな散れば戻り来る花なき白きたゞ白き時

 

ぬばたまの闇わが肌に重き夜来世は若き結婚をせむ

 

波音を吸わすべくたゞ吸わすべく広げたままの夏の便箋

 

水に輪を描いていた人その指の水を離れるような愛撫を

 

耳をわが歯のすべる時なないろの海すべる風にきみは震えて

 

珈琲店出る時ふいに古城見ゆ十二月三日南青山

 

春近きあけぼのの寒さ衾中にすでに芽吹きし硬質の老い

 

春の雨やわらかく生きること難く花のさかりを森に迷えり

 

愛すでに語らぬふたつ肉体のごとく熟してしずかなる桃

 

過去の波あざやかに青く迫り来る故郷はひとり守りゆくべし

 

各停の列車のひかりさびしくてあゝなぜきみはここにいないか

 

からだには幾つものからだ宿るらしどの海も海思い出すとき

 

春のかぜきみの遠さを吹きわたるしばらくの間の肌のしずかさ

 

海やまにもはや向かわぬまなざしで新しき春のベケットひらく

 

流れゆく雲のよろこび老いてゆくからだにはまたからだの愉楽

 

 



【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 14 [1993年9月30日](編集発行人:駿河昌樹 発行場所:東京都世田谷区代田1--14)

 ※かつての編集委員の川島克之と須藤恭博は離れ、雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」は駿河昌樹の個人誌となった。