1995年2月28日 全118首
赤んぼのしがい。
意味のない焼けがらー。
つまらなかつた一生を 一
思ひもすまい 脳味噌
憎い きらびやかさも、繊細のもつたいなさも、
あゝ愉快と 言ってのけようか。
一挙になくなつちまつた。
釈超空 『砂けぶり(大正大地震の翌々日夜横浜に上陸)』より
鮫釣りに出ていく男数人の男根の影著き平穏
四肢ほそき小鹿のごとき少年に触れにいく前のオレンジの味
缶詰ありてなまぬるき肉の汁吸る母ほどの歳の黒人娼婦
レモンの木並ぶ小径にタクシーのがんがんに熱き黄色が停まる
赤土に友尿(いばり)してじとじととわがいのちより確かなる音
あたらしき有刺鉄線その鈍き重き色あつき夏空のした
太陽観はげしく貌を変じゆく午後乳首まで流れくる汗
眼窩黒く濃き実体の影となる時そよかぜへ地球は動く
熱帯の乾きし土地の赤き庭にオレンジはつよく輝く裸体
庭にひらく扉まで行き影残し影おさめまたからだ戻り来
もろもろの思想の秋の崖にわが立つとき胸の実り隠すな
野豚の背つよき臭いは冬空の重き暗さを支える柱
気の流れ止みし夜明けの初夏の森を無言で引いていくなり
隠れ処のわが部屋暗きなかにいてなお凝集す愛するちから
開くべき『エチカ』波濤の轟きのなか鮮明に赤き乳首に
腿の砂乾きゆく時の肉体の悪魔の歳は十六のまま
欲望の白さのヨット日の盛り過ぎし港へ戻り来る見ゆ
胡桃の実歯先でかたち崩すとき海いこうよとまたきみはいう
しっかりといまごろ足を閉じていて神妙な顔でボートの上で
さらさらと夕日は音をたてて降るうつくしいきみの腿から下を
ジェラートの種類をすべて知っているこの舌の裏の淡雪のさま
ぱっくりと話の絶えるときの指ひとつひとつを確かめられて
きみの足ていねいに洗う湯の音にめぐり来る夏の夜の大きさ
風鈴のひとたび響くそののちも夢のからだの乳房のあつさ
かなたまで草はらそよぐ褐色の背のかがやきを始まりとして
青空のすべて集めて輪郭の明晰すぎるかたきちちくび
いとおしさ極まるときを髪と指競いあいともに蛇となりゆく
はりさけるほど紺碧のあこがれの風ふくきみの小指のあたり
ピースライト喫わずに香り嗅ぐときの一瞬のきみをきょうは見たくて
テレフォンヴォイスきらきら語る七色の稲妻のようなきみの軽さよ
オ・ソヴァージュ閉めずに朝の電話とるはやくも胸に頬を感じて
ミニカーに遊ぶこの手の経験のゆたかさ思う今夜ひとりで
牡丹咲く影の大きさまなざしをしばらく冷やすふたりある園
秋の草折りとらぬ手のひたすらにわが二の腕にあそぶ川べり
白魚の味はっきりと変わりたる夕餉ともにす愛ふかきあと
観念をはなれて白くやわらかきひかりを宿すこの肉といる
毒虫にさされし痕をながくながく口もて摩れど癒えがたきかも
腰の厚さこの肉づきを愛すればこころの深く癒されるらし
神であるわれいま深くふかく入るちからの果てをペガサス駆りて
千年の愉樂ふかくに震わせてふと浮上するごとききみのからだは
首を垂れるひとすじの汗の透明のさま追えば白き涼しき乳房
手の甲で腿かるくかるく秋風の芒の穂すべるごとくするべし
胸といい背といい遠き地の果ての芳しき指標きみが立つなり
動きへとせつになだれる時の滝きよめられゆくあかしの汗よ
おとこおんなでまさにあるとき概念はしずかなる湖の宿の青蚊帳
四大の元素のひとつ直接にきみ包むときの芳しきこと
燃えあがるという形容の通俗をはずれはずれて肌冷え始む
息あらくよわく ふたたびあらくあらく熱帯雨林の雨雲として
風受ける腹下萌えに陽は燃えてつよき張り持つ愛のからだよ
雪よりも肉はっきりと選ぶ日の午後わか草のみどりの乳房
さらさらと透きとおる水にひかる舌いつでも春のわかき芽のごと
白水仙揺れるをわれのことばとしなおすべらかな花園の指
汗に火をつけて焼くべきかずかずの乱れを嫌う髪、服、ベッド
ざらつきの心地よき紙の手紙くる春の休みをきみに離れて
はつなつの汗すぐ引いて潮かぜに月の白さのきみのうなじは
さくら花いまついにこわれ落ちる下あかさ増しゆく首のめぐりは
純粋を動きははしる性神経回路ながれる電気となって
肌きつくつかんでぬるきまぼろしを熱くする熱く秘術 つくして
すでに秘処なければわれは白昼の男神としてからだをひらく
わが香りむさぼる顔にうつくしき毛並み持つ雌の野獣を見たり
耳裏に鴫立つ音のはじければ十分にきょうの愛は遂くなり
小指なぜ噛み切らぬ歯か象徴のきみのからだの黒パンを噛む
まなざしの暗がりの奥に紫の蝶はやくはやく舞いてわが果つ
わが息はわれに遅れてふと軽き妖精の身できみを抱くかも
寄せる波去る波みだれみだれたるふいに静まるきみのからだは
血をじかに抱くときのわれを貫ける灼熱の槍を深く追うべし
野のみどり花のかがやき疑わぬふたふさの胸の豊かさを見よ
目つぶれば存在はつよしにおい立つこの濃密をからだとは呼ぶ
滝であれ水流の白きひとすじの愛のすがたであれわがおとめ
きみでありきみでなききみの髪濡れて夏雨はかたくつよく降るかな
さびしさをきみなき街の花園の水仙のしろき列に嗅ぎおり
髪つかむ手のやさしさとはげしさとなお深く深く走るからだと
はげしさのかたわらの林檎わき腹のみどり微かな愛のありかた
山を抱くとき声高き山鳥のはばたきつよききみの背の筋
たおやかな背水の陣のまなざしよ見るべし病みしわが少年時
玉となりたえぬ流れとなる汗を吸うきみの目の眼窩影濃し
教会の正午の影のふかみより生に惑いし天使きみ過ぐ
教会の影ふかみわれに真昼告ぐ急ぐべし急ぐべしと告ぐらし
水揺れる一瞬の世界河骨の黄ほどの笑みの輝かしさよ
ひたすらに花見るひととならんかな大海を背に立つきみといて
浴槽に湯の満ちるまでの空白を繁茂しやまぬ曖昧の森
おとし文虚無のかぜ止みし時おとす意味生成的人間の業
書籍多き部屋の畳にしろく射す正午近づく頃の陽光
太陽のこれだけの熱のなかにいて愛ははるかな幼児の記憶
夜更けてアップルパイを頬張ればわが人生の危機のさくさく
道に死にし蛙の層にひかり失せ死もまた古びゆくものならむ
コスモスの売られたる様さびしさも軽やかならばかく美しく
秋の草ゆたかに色を競いたる写真の集を買うまいとする
豁然と離陸を遂げし一行をめぐる余白の白なだれけり
さびしさの学(まね)びのはてを霧あさくこの山河は包まれにけり
また旅を断念し草の葉毟ればゆたかに汁は指濡らしけり
刃渡りの長きひかりの薄走り頬にあて今日の覚醒を成す
夕まぐれ危うしふいに世の中に忘れられしと耳澄ます部屋
汗の湧く午後食卓に推敲のペン握りひとり寂しき時を
戸棚には甘食しかなくそれを食い四時廻りけり曇り・風なし
なお若き若き地球の残暑かな雲状筋肉目を楽します
信濃屋食堂まだ味わわぬ美味ならむか陽に焼けし壁かろうじて緑
オレンジの長きアームを美と呼ばむ東京生活貫徹すべし
煤煙のよくよく見れば美しき首都高速下晩夏の逢瀬
伝え聞く事件のゆくえ干満の境の頃は浜に火を焚く
波動論尽きずついに眠らぬ夜わが行く末を考えず過ぐ
髭あさく剃る休日の角膜の鈍きかがやき大河のごとし
読み耽る宵より朝を支えし背裸身になれば肉うつくしく
焼海苔の香になお荒ぶ思い出のかの北国の女抱きたし
売人を待つ少年ら生き生きと語るくちびる色うつくしき
俄雨娼婦やさしくわが袖の濡れそぼつよと教えくれたる
諸腕に収まりきらぬ腰を持つロザリンの待つばかりの荒野
言葉なくただわれを抱く女ある国の煙草のなべて両切り
迷妄という確かなる言葉貫通す魚屋の声姦しからず
緑なす緑なす・・・詩語のたわむれに費やす時の多き街なり
雲はしる夕暮れちかき空に向く時計の塔の染み多き壁
この秋もついに果てたる藪蚊よと思えば庭はただにさびしき
この日頃逢わぬひとの目そに似たるムーンストーンの安き店過ぐ
秋刀魚まだ卓に迎えぬ暖かき休日の口に麺麭やや苦し
唇の乾きしままにさまざまを語りぬことに愛のことなど
尽くすべきいのちあかるき山吹のなだれる崖にひかりいとおし
わが歌のついに尽きむとする夜を細く色なし二本の腕は
菜の花にひとの声さえ黄色くてミョ、イマワレハヘンシントゲル
【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 31 [1995年2月28日]
(編集発行人:駿河昌樹 発行場所:東京都世田谷区代田1-1-5 ホース115―205)
参考
「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 31 編集後記
歌については様々な論があり、そうした様々な論を内包したかたちで新たな歌もつくられる。体を為した歌論はわたしにはないが、現代の日本の浮き世に生きる生身の一体としての、わたしの経験や情念や思想は、けっして歌うまいという覚悟がある。文章でも詩形式を利用する時でも、ひとと喋る時でもこのようでありたい。言葉は絵空事のみを扱うべきで、これが厳密さへの誠実というものでもある。真実を正確に語るべしと嘯く、不誠実このうえない厳密家たちへの敵意。それをなお隠し続けるべきであるとは、もう思われない。
一九九五年二月