2022年5月29日日曜日

歌集「色の残り」

 1995年12月 全24首


 

 

独り句の推敲をして遅き日を

高浜虚子 辞世

 





はつなつの木の下闇に香り持つ叢(ししむら)のきみをひたすらに欲し



夜ひとり敷布つめたきなかに入りてそのつめたさにきみを恋いたる



あくがれる魂のつらさとわれなりてタベ敷居に黒く立ち居り



闇うすきあかときわれら寝(い)ぬる部屋の薄やみとしてきみを抱くかも



いくたびも脇から腰へ撫でさすりいくたびも細き震え流れき



指先のときどきの強さ吸うことに巧みなる海の生き物のごと


ほたほたと力よわげに敲くのもしばらくはよく声洩らすなり



髪に散る束の間われはいにしえの色このむ身になりておらむか



蛾の落ちる音にさえ揺れる乳頭のめぐりの空の澱めるごとし



畳まで伸びし手をまた背に受けて垂直の熱き神を迎えむ



腰にわく汗つぶつぶと薄闇に覚めし目になお美しくあり



味蕾みな研ぎ澄まされていく時を夜のからだの艶のゆたけき


あかときを定まりて鳴く虫の音に片房白くやわらかくあり



藤の花の蕾のごとき滑りありて滑りのなかにたましいはいて



足ゆびのひとつひとつが味を持ち温かさ持ち朝となるかも



むらさきの声満つる野辺のつめたさにこの双房の揺れの静謐



どの音も崖に立つごとく澄む夜の背にひろびろと背の匂い立つ



桃もなくオレンジもなき冬床にふかく走って熱しゆく血は


むしろわが身の猛るさまになお猛りふかぶかと追うこの牝鹿を



いそぐ身をいくたびも押さえ聴く瀧の舞う水塊のひとつひとつを



われにしてわれならぬもの労(ねぎら)わむと枝のしずくを受けるごとくに



露草の青ほども青き腕輪してこの潮騒がわれを抱くかも



わが背(せな)の肉すじの向きになじみたる手のひらかれて冬の窓玻璃



あたらしき肉欲しと思う硬質の衝動として湯に浸るなり



 



【初出】

雑誌「短歌草紙 行」 創刊第一号 

 [1995年12月]

 (編集発行人:駿河昌樹  発行場所:東京都世田谷区代田115 ホース115205

 

                                       


【参考】

短歌草紙『行』 序


嗜みということがある。生活のなかで倦怠に陥りやすい精神に、涼風を通す程度に芸事を楽しむということで、けっしてそれに打ち込むなどという野暮はしない。わたしの短歌はまさに嗜みであって、この度の日本滞在の気紛れにすぎないといえる。いずれ日本人としての肉体を離れた後には、いい思い出になることもあろうと続けてきたまでである。文学にもずいぶん労力を費やしていると見えるかもしれないが、わたしは本気ではない。社会の階梯の争いを見物し、名を残し業績を競う世間一般の賑わいを祭りさながら他人事として楽しみ、塵を払いながら浴衣がけでのんびりと瞬間瞬間の微妙な生の彩を味わう。このほうが楽しいのは、あるいは江戸っ子としての血の必然かもしれないし、あるいはまた神秘家の端くれとしての自然な性向かもしれない。 青すじ立てて創作やらなにやらであたりを緊張させ、結果としてろくでもない下らない反古で雑誌や本を埋め尽くす馬鹿どもの存在ほど腹立たしいものはないが、世間がそういう馬鹿どもで溢れかえっている時に、小部数無償の罪のない草紙をつくって、冗談のわかりそうなひとたちに配って生を浪費していくのなど、アイロニカルな楽しみとしてはなかなか淡泊上品な部類に属すると思う。


 平成七年十二月