2022年5月22日日曜日

歌集 「百十八」

 1995年2月28日 全118首 



赤んぼのしがい。
意味のない焼けがらー。
つまらなかつた一生を 一
思ひもすまい 脳味噌

憎い きらびやかさも、繊細のもつたいなさも、
あゝ愉快と 言ってのけようか。
一挙になくなつちまつた。

釈超空 『砂けぶり(大正大地震の翌々日夜横浜に上陸)』より


 



鮫釣りに出ていく男数人の男根の影著き平穏

四肢ほそき小鹿のごとき少年に触れにいく前のオレンジの味


缶詰ありてなまぬるき肉の汁吸る母ほどの歳の黒人娼婦


レモンの木並ぶ小径にタクシーのがんがんに熱き黄色が停まる


赤土に友尿(いばり)してじとじととわがいのちより確かなる音


あたらしき有刺鉄線その鈍き重き色あつき夏空のした


太陽観はげしく貌を変じゆく午後乳首まで流れくる汗


眼窩黒く濃き実体の影となる時そよかぜへ地球は動く


熱帯の乾きし土地の赤き庭にオレンジはつよく輝く裸体


庭にひらく扉まで行き影残し影おさめまたからだ戻り来


もろもろの思想の秋の崖にわが立つとき胸の実り隠すな


野豚の背つよき臭いは冬空の重き暗さを支える柱


気の流れ止みし夜明けの初夏の森を無言で引いていくなり


隠れ処のわが部屋暗きなかにいてなお凝集す愛するちから


開くべき『エチカ』波濤の轟きのなか鮮明に赤き乳首に


腿の砂乾きゆく時の肉体の悪魔の歳は十六のまま


欲望の白さのヨット日の盛り過ぎし港へ戻り来る見ゆ


胡桃の実歯先でかたち崩すとき海いこうよとまたきみはいう

しっかりといまごろ足を閉じていて神妙な顔でボートの上で


さらさらと夕日は音をたてて降るうつくしいきみの腿から下を


ジェラートの種類をすべて知っているこの舌の裏の淡雪のさま


ぱっくりと話の絶えるときの指ひとつひとつを確かめられて


きみの足ていねいに洗う湯の音にめぐり来る夏の夜の大きさ


風鈴のひとたび響くそののちも夢のからだの乳房のあつさ

かなたまで草はらそよぐ褐色の背のかがやきを始まりとして


青空のすべて集めて輪郭の明晰すぎるかたきちちくび


いとおしさ極まるときを髪と指競いあいともに蛇となりゆく


はりさけるほど紺碧のあこがれの風ふくきみの小指のあたり

ピースライト喫わずに香り嗅ぐときの一瞬のきみをきょうは見たくて


テレフォンヴォイスきらきら語る七色の稲妻のようなきみの軽さよ


オ・ソヴァージュ閉めずに朝の電話とるはやくも胸に頬を感じて


ミニカーに遊ぶこの手の経験のゆたかさ思う今夜ひとりで

牡丹咲く影の大きさまなざしをしばらく冷やすふたりある園


秋の草折りとらぬ手のひたすらにわが二の腕にあそぶ川べり


白魚の味はっきりと変わりたる夕餉ともにす愛ふかきあと


観念をはなれて白くやわらかきひかりを宿すこの肉といる

毒虫にさされし痕をながくながく口もて摩れど癒えがたきかも


腰の厚さこの肉づきを愛すればこころの深く癒されるらし


神であるわれいま深くふかく入るちからの果てをペガサス駆りて


千年の愉樂ふかくに震わせてふと浮上するごとききみのからだは

首を垂れるひとすじの汗の透明のさま追えば白き涼しき乳房


手の甲で腿かるくかるく秋風の芒の穂すべるごとくするべし


胸といい背といい遠き地の果ての芳しき指標きみが立つなり


動きへとせつになだれる時の滝きよめられゆくあかしの汗よ

おとこおんなでまさにあるとき概念はしずかなる湖の宿の青蚊帳


四大の元素のひとつ直接にきみ包むときの芳しきこと


燃えあがるという形容の通俗をはずれはずれて肌冷え始む


息あらくよわく ふたたびあらくあらく熱帯雨林の雨雲として

風受ける腹下萌えに陽は燃えてつよき張り持つ愛のからだよ


雪よりも肉はっきりと選ぶ日の午後わか草のみどりの乳房


さらさらと透きとおる水にひかる舌いつでも春のわかき芽のごと


白水仙揺れるをわれのことばとしなおすべらかな花園の指

汗に火をつけて焼くべきかずかずの乱れを嫌う髪、服、ベッド


ざらつきの心地よき紙の手紙くる春の休みをきみに離れて


はつなつの汗すぐ引いて潮かぜに月の白さのきみのうなじは


さくら花いまついにこわれ落ちる下あかさ増しゆく首のめぐりは

純粋を動きははしる性神経回路ながれる電気となって


肌きつくつかんでぬるきまぼろしを熱くする熱く秘術 つくして


すでに秘処なければわれは白昼の男神としてからだをひらく


わが香りむさぼる顔にうつくしき毛並み持つ雌の野獣を見たり

耳裏に鴫立つ音のはじければ十分にきょうの愛は遂くなり


小指なぜ噛み切らぬ歯か象徴のきみのからだの黒パンを噛む


まなざしの暗がりの奥に紫の蝶はやくはやく舞いてわが果つ


わが息はわれに遅れてふと軽き妖精の身できみを抱くかも

寄せる波去る波みだれみだれたるふいに静まるきみのからだは


血をじかに抱くときのわれを貫ける灼熱の槍を深く追うべし


野のみどり花のかがやき疑わぬふたふさの胸の豊かさを見よ


目つぶれば存在はつよしにおい立つこの濃密をからだとは呼ぶ

滝であれ水流の白きひとすじの愛のすがたであれわがおとめ


きみでありきみでなききみの髪濡れて夏雨はかたくつよく降るかな


さびしさをきみなき街の花園の水仙のしろき列に嗅ぎおり


髪つかむ手のやさしさとはげしさとなお深く深く走るからだと

はげしさのかたわらの林檎わき腹のみどり微かな愛のありかた


山を抱くとき声高き山鳥のはばたきつよききみの背の筋


たおやかな背水の陣のまなざしよ見るべし病みしわが少年時


玉となりたえぬ流れとなる汗を吸うきみの目の眼窩影濃し

教会の正午の影のふかみより生に惑いし天使きみ過ぐ


教会の影ふかみわれに真昼告ぐ急ぐべし急ぐべしと告ぐらし


水揺れる一瞬の世界河骨の黄ほどの笑みの輝かしさよ


ひたすらに花見るひととならんかな大海を背に立つきみといて

浴槽に湯の満ちるまでの空白を繁茂しやまぬ曖昧の森


おとし文虚無のかぜ止みし時おとす意味生成的人間の業


書籍多き部屋の畳にしろく射す正午近づく頃の陽光


太陽のこれだけの熱のなかにいて愛ははるかな幼児の記憶

夜更けてアップルパイを頬張ればわが人生の危機のさくさく


道に死にし蛙の層にひかり失せ死もまた古びゆくものならむ


コスモスの売られたる様さびしさも軽やかならばかく美しく


秋の草ゆたかに色を競いたる写真の集を買うまいとする

豁然と離陸を遂げし一行をめぐる余白の白なだれけり


さびしさの学(まね)びのはてを霧あさくこの山河は包まれにけり


また旅を断念し草の葉毟ればゆたかに汁は指濡らしけり


刃渡りの長きひかりの薄走り頬にあて今日の覚醒を成す

夕まぐれ危うしふいに世の中に忘れられしと耳澄ます部屋


汗の湧く午後食卓に推敲のペン握りひとり寂しき時を


戸棚には甘食しかなくそれを食い四時廻りけり曇り・風なし


なお若き若き地球の残暑かな雲状筋肉目を楽します

信濃屋食堂まだ味わわぬ美味ならむか陽に焼けし壁かろうじて緑


オレンジの長きアームを美と呼ばむ東京生活貫徹すべし


煤煙のよくよく見れば美しき首都高速下晩夏の逢瀬


伝え聞く事件のゆくえ干満の境の頃は浜に火を焚く

波動論尽きずついに眠らぬ夜わが行く末を考えず過ぐ


髭あさく剃る休日の角膜の鈍きかがやき大河のごとし


読み耽る宵より朝を支えし背裸身になれば肉うつくしく


焼海苔の香になお荒ぶ思い出のかの北国の女抱きたし

売人を待つ少年ら生き生きと語るくちびる色うつくしき


俄雨娼婦やさしくわが袖の濡れそぼつよと教えくれたる


諸腕に収まりきらぬ腰を持つロザリンの待つばかりの荒野


言葉なくただわれを抱く女ある国の煙草のなべて両切り

迷妄という確かなる言葉貫通す魚屋の声姦しからず


緑なす緑なす・・・詩語のたわむれに費やす時の多き街なり


雲はしる夕暮れちかき空に向く時計の塔の染み多き壁


この秋もついに果てたる藪蚊よと思えば庭はただにさびしき

この日頃逢わぬひとの目そに似たるムーンストーンの安き店過ぐ


秋刀魚まだ卓に迎えぬ暖かき休日の口に麺麭やや苦し


唇の乾きしままにさまざまを語りぬことに愛のことなど


尽くすべきいのちあかるき山吹のなだれる崖にひかりいとおし

わが歌のついに尽きむとする夜を細く色なし二本の腕は


菜の花にひとの声さえ黄色くてミョ、イマワレハヘンシントゲル


 


【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 31  [1995228日]

(編集発行人:駿河昌樹  発行場所:東京都世田谷区代田115 ホース115205


                       

参考

「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 31 編集後記

歌については様々な論があり、そうした様々な論を内包したかたちで新たな歌もつくられる。体を為した歌論はわたしにはないが、現代の日本の浮き世に生きる生身の一体としての、わたしの経験や情念や思想は、けっして歌うまいという覚悟がある。文章でも詩形式を利用する時でも、ひとと喋る時でもこのようでありたい。言葉は絵空事のみを扱うべきで、これが厳密さへの誠実というものでもある。真実を正確に語るべしと嘯く、不誠実このうえない厳密家たちへの敵意。それをなお隠し続けるべきであるとは、もう思われない。

一九九五年二月

                        

2020年9月16日水曜日

歌集 「昌樹老残」

1994年10月10日 全52首  

 

 

 

       一生の楽しきころのソーダ水

              富安風生

 

 

 

墨田ユキの乳首うつくしグラビアの上にばらばら崩れる柘榴

盛夏なる木机に開く海やまの生きものの絵の多き一冊

美しき髪と目を持つ娘あればと思えり老いとこれを呼ぶべし

極楽という言葉そのごつごつとした音憎む憎むこともよし

十年の知己と対座し料理待つつまらなさ何の比喩というべし

あからさまにわが老いをいう女の手しげしげと見る右手左手

夢に得しもの皆夢に忘れ来し(あした)湯掻きし蓴菜の冴え

()ずる浜田老人隠しえぬ顔のみにくさ醜さもよし

あたらしきことひとつ無き父母の家ラブレーを全て置き来し

来たるべきこの冬の寒さ厳しかるべしと聞く坂のあかるきところ

「母」たちはただに醜し寺に近き公園を避けて歩む他なし

同僚の繁く来る書店なれば足向かなくなりぬ遠き書店へ赴く

人生の役者としての自覚なくふいに居り夏の暮れの風なか

自殺せし詩人の伝記その赤き布張り装のあたたかさかな

五指に満たぬ回想のなかに母はあれひとり焼く肉の音の楽しさ

腰おろすまたは茶を飲む共通点ほかになき群れを一家と呼ぶか

料理屋よく伴侶よき夜たしかなる幸せはかかるかたちにて来る

愛をいう必要もなき一日の午後から夜の木枯らしの音

こころついに踊ることなき再会のあいだ揺曳やまぬ虚子の句

手帳開き閉じればそれで確かとなる気懸かりに樺のごとき香のあり

素麺を沈めてきつく澄む水に金属を裂く蝉の声来る

南天の濃きみどり揺らしわれに来る晩夏のかぜはどこかむらさき

いわし屋「ハチ」のいわし団子の付け合わせ紫蘇味噌が好きでまた今日もいく

玉葱のにがさに今日の生きがいを賭けるべくわがシリアス・サラダ

映像を見ることに飽いて豚草の繁るかなたのビル群を見る

ブラームスひとりで聴く夜くりかえしくりかえし聴くただひとり聴

鯉の汁たけき熱さを含む卓百合あり百合の(さが)(ただ)れて

さるすべり夢とうつつの境目を問わねば赤と白とむらさき

ひまわりのイミテーションはよく売れず花屋水撒く夕べとなりぬ

たなごころ隅々を白きつめたさの守宮(やもり)が噛めば()はよみがえる

じかに寝てつくづくと見る黒々とよく年経りし田舎の舞台

「天河」の湯麺はだめで叉焼麺麻婆定食餃子までだめ

わが足の足裏ふれぬしら砂の一粒のほうへ降る流星群

あたらしきペンの内なるみずうみのみぎわほど清きことば出で来よ

風ふけば柳の糸を髪として名をなのれきみは春野みどりと

夏残る窓ちかき大き木机に手を置きて手と木机を見る

写真機とよぶべきほどの器械なき小売店前で人を待ちしことあり

三口にて珈琲を飲むワイシャツの似合わぬ男ペンを忘れ行きけり

気勢ばかりの書籍あつめる棚を過ぐ わが死の床に書は排すべし

近ごろの便りの二三つくづくと眺めるほどの悪筆もあり

終わりなき差異化というか天然水のボトルの並ぶさまに疲れる

知識人と自称するひと老若を問わず小さき瞳孔を持つ

最新をうたう電話機あじけなく売場の美女の写真の粗さ

歯科看板薄青く明かり灯されて東京の路地はかくも寂しき

酔いびとは水色の背広引き摺って行くなり晩夏夕顔の径

書くことの望ましき手紙書けぬまま豆のふくませ煮ふくめ始む

秋の雨こおろぎの声消さず降るその雨音の粒立ちのよさ

手になじむペンはおのずと一本になりぬMITUBISHI SN-80

かくもかくもわれは醜し背の骨のうしろ姿の枯れ柿木立

冬木立なおも吸うべき寂しさのあり冬過ぎてまた此処訪わむ

里果ててひたすら広き枯野ありついに我がものならぬひろがり

春雨のかなた島影しろく立ち勝敗はなべて遠き茫々


 

 

【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 24  [19941010]編集発行人駿河昌樹 発行場所:東京都世田谷区代田1--14)

 

 

                              

参考

NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 24 編集後記
老残といふ言葉は美しく、わたくしの日ごろ愛してやまぬ言葉である。この言葉に触れるたび、豊かな枝振りの桜の満開の様に心奪はれる思ひがする。さういふ言葉を、ここに読まれる小歌集の題名に用ゐるのは、むろん適切とは言はれない。わたくしはまだ老残を誇る域に余りに遠く、もし花があつたとしても、まことの花ではない時分の花といふべきだろう。時分の花はすなはち移ろふ。失はれた花を惜しみつつ、さては心ばかり駆けて老残を夢見るか。なんとも危険な状態といふほかない。言葉いよいよ冴え返るべし。ここよりおそらく、わたくしは境を変へる。
 一九九四年十月

                               

2020年9月12日土曜日

歌集 「森とみずうみのからだ」

1994年3月25日 全75首

  

 

  花は野にある(やう)

     利休七ヵ条

 

 


きみのにおいからだのにおい立ち起こるラクロの集をひらく間もな

 

 

 

触れんとし触れずに見つめいる時のもっとも熱ききみのからだは

 

首すじに口つける間も閉じぬ目に一番星と海の密約

 

「風と手はおなじ手際ね」ひと遠きところのわれはゼフィロスの弟子

 

ひとことも愛とはいわず中指に髪まきつけることより始む

 

まだ口にふくまぬ髪の数本を求めてすべるくちびる濡れて

 

クレメンス・クラウスの棒の振り出だす音楽のごとく頬にくちづけ

 

夏芙蓉ひくく流れる香のなかに玉の熱持つきみのひとみは

 

耳をわが歯のすべるときなないろの海すべる風にきみはふるえて

 

そっと耳噛む時あかきあさやけのしずけさのなか愛の密約

 

耳を噛む喉うなじ肩すべて噛むおろそかにすまじ愛の儀式は

 

くちびるの奥にあふれるさらさらと軽き味持つ水ふくませよ

 

指の記憶いずみの水のつめたさに咲くくまぐまのきみのからだは

 

抱くということばをわれの好まねばこの猫の子の毛をすべらせて

 

くちびるはゆっくりすべるものと知れ丘の神・谷の神・森の神

 

やわらかきものへとかくもやわらかに接しゆくこの潮のたかまり

 

きみの腰のあのかがやきを知っていてなお輝かしきを求むわが目は

 

抱きよせる腰の重さごくわずかなるちがいはきみの愛の表現

 

みだれ髪ひろがるものは荒涼とよぶには黒き黒き髪の香

 

そのたびにあたらしき肌この胸のかがやきもいま生まれたばかり

 

たわわなるこの胸のおもさいつまでもわが胸()れず熱持ちていよ

 

しずむ陽の記憶沈まずやわらかき肌にしずますわがペルソナを

 

時代より永遠へ逸れよたわわなる乳房受くべしわが両の手は

 

肉は霊かくまで肉のきらきらとかくまで肉の思いは凛と

 

香油つよくかがやく髪のゆたかなるみだれを受けよ白の沃野は

 

背も胸も精妙な楽器目つぶりて弾く時われは夜明けの譬え

 

森が呼ぶきみがわれ呼ぶ呼ぶ声に純な(いら)えとしてあれ、からだ

 

指と指の数ミリの動き正確にからだの波へ波をつたえて

 

愛することなによりからだを愛すること…… つぶやくは時に宝石となる

 

吸えば清く汗さえ清くふたりいることで目覚めるからだの清さ

 

ざわめきのやまぬ過敏な森を持つからだの汗の芳醇の香よ

 

水は混ぜてともに飲むべし飲みくだすとき香りたつ野葡萄の口

 

背の香り乳房の香りわずかなる異なりを知るわが鼻も咬め

 

ぬくもりも甘きことばも求めずに透きとおるほどの発情をせよ

 

情欲のつねなる清さわれらみな水より水へ流れゆく水

 

われを吸う肉化せし虚無ごうごうと外吹く風も愛の行為か

 

主張せぬ思索さえせぬ細胞のあつまりとなる浄欲となる

 

希少なる鉱物としてからだより言葉より深きものの名により

 

底知れぬからだの底にただ向かうわれは滝すでにおとこではなく

 

汗ひかるわきばらの塩の味つよく海近しいつも愛するときは

 

アメジスト秘めているような胎あつくその紫の熱を吸うべく

 

精神(ガイスト)にいかにかかわるしなやかにわかきおまえの泉のほとり

 

くるしみに似た表情をつつむ闇その闇がいま発火せむとす

 

われよりもわが肉を愛すくちびるにかぐわしく甘きレバノンの桃

 

こぼれたる蜜熱く熱くとどこおる豊かなれ深きバロックの森

 

この黒き肌のおとめを地軸とし聖季節まわるまわるまわる

 

動きへとせつになだれるときの滝清められゆくあかしの汗よ

 

いのちへともっとも近き暗がりを見る視力得んとして目をつむる

 

目をつぶるわが身のうちも吹き抜けてなおも一個の肉体であれ

 

わが指になお残るかたさなお残る制度の澱の殺戮をせよ

 

極みへとむかう流れに入らんとす寄せてはかえす無限旋律

 

おとこ/おんなでまさにあるとき概念はしずかなる(うみ)の宿の青蚊帳

 

指先の芯までの痺れかなかなの啼く頃の血の清き瀬音よ

 

沃土ともよぶべきからだ考える葦は荒れ野にこそふさわしく

 

荒淫とよぶことの清さ流星の尾ほどもながき水草みえて

 

あかり消さぬふたりとなりてあきらかに見えるからだの見えない奥

 

胸も腰もともに隠さぬきみといてまだ深くふかく泉は逃げる

 

つくづくと女はマリア海やまのすべておさめる薄闇のなか

 

背のくぼみその濃き陰に憩いたるわれを信じよそのわれのみを

 

うすあかり油のごとく背を腰を流れておれば指はとまどう

 

われらふたりからだに遠く超えられて意識は森の夜明けのようで

 

からだ脱ぐことを覚えし昼過ぎを菜の花はかくもあかるく燃える

 

手も口ももどかしなおも尽くしえぬからだは深き藍のうずじお

 

わが愛のちからの弱さこえるべきものあざやかに鉄線の花

 

まだすべて終ってはおらぬ眠らずに迎える朝の青の永遠

 

みずうみは今朝もしずかに愛慾のかたちのままにさざなみの青

 

まじわりは海の味してようやくにわれらの潮の高鳴り止みぬ

 

燃えあがるという形容の通俗をはずれはずれて肌冷え始む

 

神経のつぼみの開ききりしのち高貴なる石のごとし疲れは

 

きみの髪黒髪ほそき戦乱のあとの小川の水草の茎

 

樹のみどり草のみどりに変わりゆく湯浴びればかくもあかるき蜜毛

 

蛍ぶくろこの朝の愛のおこないを喩えるによし摘みに()に出

 

胸に顔うずめればすでに爽涼の秋の冷たき(はだえ)なりけり

 

いつもいつも別れるときのくちづけはわずかニュートン力学それて

 

 

 

クラップフェンの森でいつかのように会う 純愛のようにいつかのように

 

 

 


 

【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 18 [199]編集発行人駿河昌樹 発行場所:東京都世田谷区代田1--14)

 

                              

参考

NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 18編集後記
架空の生しか歌わぬということは、むかし寺山修司にさんざん学んだことだ。わたしの歌はまずいが、架空の生さえ歌うまいという覚悟では、寺山の跡を忠実に辿ろうとしているといえる。なにかを歌おうとしてはいけない。ましてや自分の生など。歌はたんに歌でなければいけない。そうわたしは思っている。わたしの人生など犬に食われろだ。自己も自分の人生も粗末にするという点だけは、ひとに引けをとりたくない。こういうふてくされた精神から出たひとつらなりのことばが、もし、あれやこれやの人生の瞬間を照らし出すようにみえるなら、日本のことばの幻術はまだまだ衰えていないということになる。まぼろし、よろこぶべし。わたしたちはそうやすやすと悟ってはいけない。言の葉のうず巻く森の深みへとなおも迷い入り、柔肌に道を踏みはずし、ここかしこの美酒に舌を痺れさせなければいけない。こころして、まごころだの真理だのから離れよう。まぼろしを支えるちからをこそ、いのちとよぶ。花鳥風月の消滅を嘆くまえに、わたしたちにはいつも、このまぼろしを美しくふくらましてみる義務がある。
一九九四年三月