2020年8月27日木曜日

歌集 「スターバト・マーテル」

1990年6月19日 全33首



ウィトゲンシュタインと遊んでいろ口紅吹きすさぶ春の雪淫すさぶソーニャ


木苺の絵ひらく二月身捨つべき革命花いつも異国にひらく

夏の夜の天よりながき一本の葦 避暑の少女のキャミゾール冷えて

あかつきの滑走路わきで電池切れ 『冬の旅』絶えて風へ岬へ

『堕胎詩集』に噴水飛沫ながれ来て 吾子のヨットはながれながれ

六畳間の午睡 しずまる水底に聖なる蓮ひらきエメラルドの破水


アールグレイ・ティー飲みのこし発つ多島海 (ポエティカ)求むる者の礼節

カラヤンの白髪ついと甦る 氷上うつくしく死後硬直(リゴル・モルティス)
する白魚


ジョルジョーネに夕日がかかるあざやかにあざやかに処女の太腿腐

てのひらに掌中蘭和かなかなを(すさ)びに訳す (すず)を風過ぐ

朱雀失せし霞ヶ関すきずきしくあわれなりあらたまの都市

 

荒道具商ジョナサン・コーンウォール卵黄をぐいと呑み干しヒヤシンス切る

ボール・ヴァレリーより平成二年年賀来てとりあえず青き海()きオレンジ

平成元年百円硬貨ゼブラペンにかわる 秘本焼きたしふと純情に

媚薬切れて萎えし乳房やさしやさしゴヤ淡雪の夜ばかりは

ありえぬ本を手に四月のベトナムへ たとえば『短歌のたくらみ、血の楽しみ』など


コクトー劇集十二ページに(モーヴ)のくちづけ 『トゥーランドット』噴々たる夜


知識人・歌人・哲人 融合はやさし女らと熊掌かこむ夜ばかりは


椎名桜子の鱗粉べったりと顔に 昭和十九年輪姦死せし鮮女そこ此処に

放尿絢爛たるダヴィデ・ジオット 利人(イタリアン)二十歳(はたち)両性具有者(アンドロジナス)

作詩用可塑性油脂(ショートニング)漏電(ショート)して失地回復もはや望めぬ薔薇(エグランチーヌ)

チャウセスク夫妻よこたわる その上の赤い灯油缶一缶九百円也

ミシェル・フーコー淫乱あたまてかてかと巴里徘徊 八十年代の偉大、売淫

山葵漬け厭々(あきあき)しゴロワーズ吹かす 斧鉞(ふえつ)くわえるべし腐儒に風紀に

超ひも理論超えられておだやかな春日 白罌粟博士あおく悲しむ


バットゥータ読むとき旨き桂樹(ローレルティー) 砂漠は砂漠、遠きゆえ酷きゆえ

ジョーン・フォンテーン愛するゆえ見る深夜興行 悲嘆持つべし幸福(しあわせ)よりは

春まさに(ひさ)ぐ薔薇あきんどブロッホさながら鼻肥厚して

風眼完治 ヴェネスィアンレッド眼鏡(グラス)掛けても酢の香はみどり

馬鈴薯の白き切り口 淫漏らすすべ知りし秋の少年と居り

エンゼル書店女店員治子(はるこ)春越してなおも純潔ただの純潔

青き麦つめたく靡くなびかざる亜麻色の髪 感情教育

うつくしき乳房ふつふつ汗わいて黒肌沸点途上のマリア

 

  


 

【初出】雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 1 [199019]編集発行人駿河昌樹 編集委員駿河昌樹/川島克之/須藤恭博 発行場所:東京都世田谷区代田1--14)


                             
歌集「スターバト・マーテル」からは、1990年6月創刊の新雑誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」への 掲載となる。この雑誌は短歌、自由詩、散文から構成され、1999年の第84号まで制作が継続された。常時40~50部ほど、最盛時には200部ほどが作られた。現在でも廃刊されてはいないが、2000年より、自由詩は新雑誌「ぽ」へ、散文は新雑誌「トロワテ」へ、短歌は新雑誌「行」「朱鳥」「めひしば」などへ分化されたため、いわば発展的に透明化されたといえる。
  「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 の名は、ヴィクトル・ユゴーが若きボードレールに送った賛辞、「新しき戦慄」から採られた。  
                             

2020年8月26日水曜日

歌集「初夏集」

1988年6月16日 全23首

 


ロウレンス・ダレルの『クレア』初夏のわが胸壁の兵士下り来よ

 

エリザベス形而上詩群燃ゆる夏刺草かたく結腸を撫ず

 

潮の音数えてはまた目をつぶり浜宿についに開かぬニーチェ

 

緑陰のガラス玉演技ひとり愛ずる南の果ての幻の雲

 

ミッションを解かれし神父オレンジの花の白きをのちは愛すや

 

観念より生まれし風か今われがアルファ刻みし砂地吹き抜く

 

成熟にしばらくは遠きエジプトの葡萄拒むな蒼きくちづけ

 

葡萄蔓うなじに這わせ白亜なる廃園のヴェニス汝を欲らむかも

 

ゆくりなく頭めぐらす初夏の罌粟劣情を甦らすな

 

柱廊の暗きより出で滑りゆく光輝の蜥蜴蒼空を食め

 

物化せよと木株は迫る迫られてわが耳裏に籠る血潮は

 

金色の孔雀くぐもる初夏の声音こころの闇深きかも

 

革命は近しというや五月雨の辻公園に蘭裂かれたり

 

妻という言葉うつくし須磨の浦名も捨てて浜を駆けゆけよ妻

 

海鳥の屍黒き南風の磯よりの青き高き世界よ

 

あの遠き大型船が湾出ずるまで青くあれ心の乱は

 

波さわぐ時きわまれる静寂よ耳の根にくらき湖は湧くらし

 

海と森こころにつよく雪崩れ来る今宵しきりに酒欲らむかも

 

わが谷はみどりなりきと目を瞑る過ぎゆきしものはかくもうつくし

 

白樺の林を行けば風のごと立ちては消える我がかなしみは

 

過ぎゆくはアメリーの森サックスの林過ぐ他なきはかなしき

 

すみれ踏み下りて飲みし谷川の水なり過なるこころ鎮めよ

 

葉桜の散りいそぎせぬ山ひとり迷えば生きてあるはうつくし

 





【初出】雑誌「かもす Kamos」第12号[1988年6月16日]企画:駿河昌樹/川島克之/須藤恭博、編集/発行:駿河昌樹)




歌集「冬の狐」

1987年12月 全46首

 

 

冬の愛

路に立ち(せな)広く張りマッチ擦るカミユのパリへ戻らむか冬


遙かなる蜂起のニュース衰弱のつのる巨象の夢に厭く目に

 

屠られし食獣の胸の虚ろ見よ足らぬはいつも自己愛と知れ


冬の愛たとえればジャンヌ焚刑の前のその口欲りし兵士の


雁一羽日溜りに死してなお温しわれに白紙の来月はあり

 

敗北の種子熱く遠く籠りゆく冬であるべしうつせみの透く

 

歌う男描く男の細枠を越え得ずやわれ冬砂無尽

 

 

 

脳離りて


言葉狩りて雪原にひとり足跡を残してゆくか冬の狐よ


蚕煮る湯ほども清きいのちもて冬杉は無を貫きており

支流ひとつ迷いて暗き湿原にまだ果たし得ぬ約束がある


ネクタイ解く一閃の指湿原に昇る朝日を指さざれど指


脳離りてはるばる来ればこの日頃甕焼く人の憩いにも似て


この日ごろ霧ふかしわが脳髄はしばられて森に鍛えられんとす


戦争論止まざる冬の旅半ばいたずらに清き雪の鉄路よ


芭蕉七部集濠に落とせば沈丁花 香を病むわれに薄明はある

荏苒(じんせん)と生のわかれへ流れゆく ミクロの愛の記憶神速


ヘレニズム叢書崩れし後の超新星M 寂寥の石榴を開く


禁色の空に真向かうアルミ卓白き病もきわまりて青

 

青凪の光はじいて撓む竿継がむか狂気貫かむ初志

 

回春の罪負いて青きドナウ歌う老教授 われはただ愛を問う

 



真新しき原罪詰めしランドセル負える子らかくも黄の通学帽


話せば闇逃げれば虚無の宴果つ かくうらぶれてハチ公前過ぐ


青髭は剃り残すべし中世の霧立ち初むる昭和人ゆえ

METHODUS
というラテン語にモ力の飛沫滲みゆくことの緩き彼岸ぞ


芯ふとき赤鉛筆と収録の語数少なき辞書、ロ笛と

庭土の暗きより湧く剣取らば 目となりて天の推移見よ柿


あんず煮る女あるべし吾が帰る海山の果て村の家には


海馬(とど)
空へ上げる叫びをさみしきと思わずなりき冬過ぎて冬


愛ニグラム虚無三グラム同封ス狂気良好返書ハ不要

 

そういえば死んだってねと年の暮れ人群れの中ぽっかりと海


落とし紙一枚落ちゆく白き速度砂丘見るべき目を準備せよ

今日もわれ見出されずと日誌に書く西日美し蕩々と海

 

 

夢の山路

若き若き母なりみどり溢れたるかの野にわれをいざないしは

 

しなやかに四肢伸ぶる鹿に()りしわれ夢の山路のみどり霞に

大きなる露転がしてつわぶきの立ち直る朝いのち深かれ


輝ける七色の海渡るべし我と汝との逢瀬果てなく

 

携帯版世界全図に記し置きぬボスポラス愛の行程として


ひと夏の向日葵の種子取り終えて指熱きまま少年の夜


起こることすべてが君の人生さと子に言えば胸に湧く光る風


おのれ無きかなしさの谷深々と見下ろす時に熱きかな胸

八方の塞がれば心歌い出よ北方へ飛ぶ軍機一閃


人の世を逃れてすがし夢の野にいま雌狐は尾を振りて立つ


女ひとりわれを憎むと言い置きし若狭なる凪の海に逝きたり


死の後に再生はありと誰(た)が言いき冷たきままにチューリップ咲く


一行に歌満ちてのち引きてのち猶あるわれをいかに生きむかも


われもまた行きて帰らぬ東雲(しののめ)のひとりの空をゆく鳥にして

 

 



 

【初出】雑誌「かもす kamos」第11号[1987年12月29日](企画:駿河昌樹/川島克之/須藤恭博、編集・発行:駿河昌樹)




 

歌集 「他人の祭」

1987年9月 全14首

 


ヒースクリフ聞け

 

ただひとりの夢想家に過ぎぬわれなりき向日葵は重く高く枯れゆく

 

教室より雷雲は見ゆ過ぎゆくはこの夏もわれがわれである意味

 

ギルガメシュ神話を閉じてまなこ押さう終わるべし終われ終わりあるもの

 

ヒースクリフ聞け、荒れ野より隔たりて旧約繰らるる時の軋みを

 

剥製の梟の爪のかの黄なる染みの離れたる血へ森へ夜へ

 

黙ること黙ることなにも書かぬこと夕陽はかくまで重く輝き

 

こころ止まる。冬、空、黒き鴉らのせいにはあらず。渇く喉。水。

 

 


転生論

 

移りゆく大空の色に学びたる寛容と愛とつねなるものは

 

屋根静かに濡らす日暮れの雨音のなかあやまちて蜾蠃を打てり

 

おとろえし牡丹の園に殻を脱ぎし蝉を見てよりひと月を経ぬ

 

一冊の書物へと戻る朝まだきアラビカをほそくゆっくりと挽く

 

転生論信ずればすでに死後であるこの目が黒き死蝶をも見る

 

世はなべて他人の祭か翡翠の魚捕るさまを見る友を見る

 

きつく背を折りて死にたる足長き蜂書架に見ぬ夏旅果てぬ

 

 


 

【初出】雑誌「かもす Kamos」第9号[1987年9月](企画:駿河昌樹/川島克/須藤恭博、編集・発行:駿河昌樹)





                           

歌集「他人の祭」(1987)は、寺山修司調を脱皮していく最後の時期にあたっている。寺山調に見られないのびやかさがあるが、それはおそらく、この時期耽読していたル・クレジオのフランス語の口調から来ている。ル・クレジオは1980年発表の『砂漠』で豹変したが、そこから始まる、透明でやわらかい、大海の波の打ち寄せのような文体が、私の文体の模範となった。ル・クレジオの文体は、シャトーブリアンとピエール・ロチの文体の発見に繋がっていった。ヴィクトル・ユゴーの詩の文体や紫式部の文体に遭遇するのは、さらに後のことである。外国語の詩文から文体上の影響を受けると言えば奇異に受け取る向きもあるかもしれないが、形容詞や副詞の置き方や、作家の言葉選びの癖から生じてくる韻律のありようは、自国語のそれ以上に精神に染み込み、自分が書く文体を深く変容させるという実感がある。
                             


2020年8月23日日曜日

歌集「“VIAN-KHROUCHTCHEV”-ING」

par Le club de Tanka Vian-Khrouchtchevou  MASAKI SURUGA

1986年12月9日 全29首



横滑りせよ漸進する時の谷オレンジは深く脳裏に隠せ


黒眼鏡ややずらし冬のナポレオン遠征の果ての海と球体

銃弾の宙に居て固く乳首となる上海港ひとり知る風


カタストロフ理論をひとり教室で講ずる黒炎石ほとり、春

ラジアンに春雨今朝も麦濡らし蒼き解決策飛ぶ議会


帝王に死 唇に罌粟の花 シェエラザードを投げ込む点茶

素直さが罪となる時代到来すビニールパイプ歪みて東


遍歴は紫深き水晶球 飛べ、鷗 母の杳きバイエル

シュトラウス革命切断されし薔薇血はストローを伝わりてゆく

 

ブルータスおまえもか尾も流氷に閉じ込められて没分暁漢


球件論ひとつに二億光年を費やすセクス 無花果を食む


雨雨雨 ビニールカヴァーに亡き妻の仄蒼き陰画(ネガ)をテープで留める

 

鋏への愛ゆえ負いしこの傷をバージンシープに吸わせて(――孤絶!)


ああ中国…… 呟けど饐えてこの一夜スーパーヘテロダインを瀆す


抱れたままこのまま死んでしまいたい カメリアを食む処女林の精


行く処なく聖アンナ幼稚園批判法学派報に菫

ああ大学高度管理社会への血帷子諺文の染む裾


同性愛が犯罪か麦か破かれた明月記抄か井筒衝くイヴ


「道徳的に不正な社会の階層秩序」毟られたアネモネ三歳の僕の首と足首


セヴィニエ街スワサント・ヌフで花を摘む孤独に孤独に咲くジギタリス


注釈に死刑SALTⅡは功を奏さず批評のバルトリン腺

 

魂の暮れ方われと(はぐ)れし姉その胸ほどに固き甘食

 

うるわし××老いたオスカー・ワイルドの頬の艶 汝を抱きたし七竈

我が愛人なら既にドンの貧しき艀引き唄に世も変わり赤毛の娘


奇瑞である。夢のうちにも夢だとか法師咲きする1mmの瑕


董姦をよせジミー・スワガードはじめに傾きがあるべきでそれは今も花嫁


海綿状組織にクリスマスが来ると『実践論』が売れる 歳月なんて縮緬じゃないか


The Japan Times
は政府側に立つ 十六夜(いざよい)のすべからく(いらくさ) 我が外人部隊兵(モン・レジヨネール)

 

漆黒の黒板などない逃走する銀河ノクターンさえも仄白む降誕祭

 

 


 

【初出】雑誌「かもす」第5号[1986年12月9日発行](発行人:かもす屋徳右衛門 編集人:駿河昌樹 参加者:川島克之/須藤恭博/阿藤参三郎/高島慶子)



2020年8月22日土曜日

歌集 「ヴィアン・フルシチョフ短歌クラブ 八月と六十三の歌」

1986年8月1日~30日 全63首



かきつばた散りて萎れにし花びらを春脱ぐ皮と風や説くらむ

古きフィルム首切るJap.のあの笑いあの歯あの目とボクの関わ


ヒロヒトの背の寂しさをどう思う―ジャンに問われて「歳さ」と済ます


水道をみずみちと読む子を連れててつみち沿いに罪摘み包み


はらはらと鳥ら降り来る星砂の浜に二千と一の足跡


爪切りの鉄の熱さも台風ののち鎮まりて夏の晩年


夏風は遠く遠くに退きて置き捨てられて遠浅の海


揺らぐ葉の一枚になにを求めてかエビガラスズメは宙に揺るがず


戦争がすべて変えたと言われれば黙るほかなし電柱と空


「わたくしは猫という名の狐です……」覚めれば君の白き首肌


変わり目を苦とや思いし母のこと秋茄子見る日ふと思い出す


ビニールの時計を買いて我がものとせんやわらかき軽き時間を


それを削ぐ朝昼晩とそれを削ぐ目には見えねど削ぎ落とすべし

〈男〉性を強いられて来し我が胸の乳首は今も夢に焦げおり


ほうせんか種飛ばせ種Tシャツの白にはじけて夏締め括れ

電燈を消せば染み来る夜の闇その色問うな問うな心も


イエス!イエス 異端の我も君の名を呼びつつ告げるべきことはあり


夜を捨て我守り来し夢も捨て開き始める花に近づく

ああ紫苑ここにかしこに背を伸ばしゆかしき色を過去よりや吸う

送り火の頃過ぎて陽を知る蝉は秋づく空ゆ歌学ぶらし

母の背は空の一部かみどり児の空飛ぶためのこの小靴には

瑠璃色の飴玉ひとつポケットに隠してるりの夏の登校


色あせしなまこ板より垂れる水不易ならざるものはかしまし

生きる術ふいに心に得たる日は暑さもなにか嬉し狂おし

めだか子よ頭小さく身は細くなにがおまえを守っていくの?

このコップせぴあの色は水のため汲まれ飲まれるひとときの海

『椿姫』また読み終えて裏表紙めくれる上にエタノール置く

海よ海……呼びかけばかり絶えることなく隔たりて「海」とただ書く

むくげ見て床にて花のあたりの香思いはせつつ眠らんとする

眠りたる腕ついと伸びペンをとり春の小川を描きはじめる

長月になお衰えぬ朝顔の蔓の伸びたる先のそよ風

くやしさを新しき歌の糧とすと言う人までで終わる歌会


玉虫の死骸をぼくと彼女との間に生まれる秋に捧げる

ほおずきを含みてなにか日本的なるもの探す仏人の君


腋を剃るいっとき君の頬かたく乳房もきつく我を拒める

「ペルシア語重要単語3000」も詩法の随や究極の秋


生き死に野行けばすすきを凌ぐ風 前生の骨の鳴りているらむ

原爆を許すなという広島の或る人の語気酔い過ぎており

千羽鶴万羽を折って南京の万人抗をこそ訪ねに行かん

ニッポン人、宣長、ソニー、松陰……と露語学びつつ落書きをする

藤原の名に惹かれけむ熊蜂の舞い寄る底のわが定家集

定家集定価九八〇〇円花鳥風月貨幣経済

立体の表面積と質量を求めよ 雲と鶏頭の花

空あおく雲しろくあかき鶏頭をめぐりて夏の現像のとき


出会うひと皆に「夏子!」と声かけて潮散る渚駆けてしゆかん

タ空滲みてつめたく青みゆくコンクリートの壁を見る時

貧血で倒れし少女抱き起こすより先に服のみだれを直す

高く濃くコバルトに光るもの空と呼びならわして地球の思考

マイヨンヌ、マイヨンヌ… 名をくり返し想像をせよ意義の死生きよ


「想像力は死んだ。想像せよ」と言うベケットも老ゆ不条理の秋


甘藷の葉陽に凌がれて萎える午後潮鳴りやふと耳に来しもの


夢にこそ来てし花束ともに編み目覚むれば手に残る草色


109裏の飲み屋の大柳時も所もわきまえており

われを濃く色全開に焼き出して現実と陽の化学反応

 

夏は死を逃れて秋のこの空へ這入りにけるや力満つ雲


鬼百合のめしべに蟻は惑い来て一期一会の今生の空


「あら、雪が…」受話器と我を置き捨てていざなわれゆく君この夕も

 

一粒の葡萄を食めば紫の国ひろがりぬ入りてし酔わん

 

梻(しきみ)忌み閫(しきみ)に風の寄す香をも怪しとて若き巫女は祓える


野にあそび幾多の花の香につかれ戻りゆかむか虚無澄める海


わが敵は詩想せぬ者わが命は殺戮にあり栄えあれ言葉

 

詩想せぬ者ら家畜の殺戮を命とや覚ゆ牧神の午後

株式報ひとたび風にさらわれて飛べば詩、空も地をもめぐりて

 

 

 

【初出】雑誌「かもす」第4号(発行人・かもす屋徳右衛門 編集人・駿河昌樹 参加者・川島克之/須藤恭博/阿藤参三郎)

 


歌集 「ヴィアン・フルシチョフ短歌クラブ 八十四の練習歌」

1986年6月7日~7月30日 全84首

 


 

われらよりただ十五ばかり先んじて戦後史語る君らの時代


六月の昼顔土手に花咲く薄桃色のいのち見せたり


「鮮人の嫁などあたしごめんだわ」―六本木行く娘らの声

婚約の語は深き深き傷のごとしソウルに来れど君見出せず


李英愛在日の二世君が目の濁り忘れず生きんとぞ思う


愛こそはすべてと告げる歌遠く若者たちの浜に響ける


源に死なむか海を知り尽くし鮭さながらに激流も経て


カフェ・オ・レの色して降れる六月のモルタル塀を濡らす長雨


『最新版分子生物学事典』  蓼の葉ひとつはさみて閉じる


「おにぎりの早喰い競争大会を嘉手納の基地でやる」とボブ言う


「幻想」の語に倦み果て吉本を閉じる夜長の邯鄲の声


チュニジアにカルタゴの古跡訪ねし日 『日はまた昇る』で庇つくりつ

 

「ヒトデみたい!」喜ぶ子らの指の先二三秒ほどのペンタゴン消ゆ

世界地図買い来し夜は楽しかりまだ見ぬ国を財と思いて


友ひとりまた自死遂ぐと聞きし夜漂泊の心隠さじと決める


捨てられし学力テストの答案に「まごころ」とあり〇でなけれど

遠からぬところで何かあったらし…… 西瓜にも倦み耳を澄ませる


枯れた後なおも色変え乾きゆくサイネリアその長き茎筋


かがんぼは幾たびも熱き電球にぶつかりてなお光を求む

 

雑誌ひとつ買い来てページ繰らぬままニセアカシアの香の中にいる

 

何々のごとしと言えば言えなくもなし我が海の色盗む藤


白南風をさえぎる薄きこの壁を意識と呼ぶか窓と呼ばねば


「失いし時」求めたる小説や「来たるべき書」にも飽きたよ飽きた


履歴書に幾行か嘘を交じらせて面接という劇を待てる間


アボカドの種大きなりこの種を捨てねば芽吹くもの我にあり


アルバムを閉ざして冬の野に出でん眼の裏の海熱きまま


暑くあれば水求むらんまなざしの生き生きとして夏犬は過ぐ


芽吹きくる新しきもののためにこそ枯れるものあり梅雨の花群

桜葉の香を慕い来て梅雨闇の気に髪ふかく洗われている


この薔薇のつぼみの二三薄桃にやわらぐ頃ゆ遠雷の夏


しめやかに物語りせよ五月雨の低き雲行く時を記憶よ


しめやみにもの語れるか古き日の記憶よ梅雨の雲行く隙に


「わたくしのブルジョア」という言葉ありマルクスの書は手離しがたし


花鳥図をしらじらと染む公園の焚火の煙に燻す美意識

歌びとら語れるものはみな歌につながりて止む 歌はかなしき


「愛」ばかり語りて経りし年老いし尼僧の影の毅然たる黒


新しき野菜を水に浸す手に時というもの流れずにあり


永遠の休暇をとりてこの世紀この国に出でて四季を見ている


「滞在」と言い換えるだけで生活はふいに旅上の軽さに溢る

 

梅雨切れて鉛の薄むごと明き雲見ていれば飽きぬ海空


蘭盆会果つ頃赤く月は出て桜紙抓む君の仄見ゆ

 

朝顔を抱えて駅に立てる祖母若き夏風白髪(しろかみ)を過ぐ

六月の終わりに買いし朝顔の蕾の白さいとけなきまで


一本の傘やわらかき若草の萌える原野に開かれており


「我々の頃は……」と語る中年の人あり ふいに車中かなしき


かぎつけて駆け寄り集う猫たちの餌待てる間の瞳の深さ


もぎたての余白の白さそれだけを眺めるために新詩集買う


ふと言葉よれてわれらを定義せりテクノに浮かるる資本主義者と


ひと雨ののち若竹はなまめいて長き小旗のごとき葉も()

自殺せる友に一輪春菊を捧げんそして黙り生くべし


此処にいま我打ち据える光来てこの午後夏は始まりにけり

維摩経繰り終える頃に晩秋の夜風の立てる裏木戸の音

履歴書を四五枚書いて破り捨て仕事仕事と詩帖に戻る

失いしもの余りにも多くして学びし仏語の詩など読みける

酒好む友に付合いこの夜をラフォルグ読まず我に戻らず

白鳳いう名の桃と履歴書を買い来て座る  <社会>とは何

大手町のビル街歩き過ぎしのち革命せつに思い始めき

恋の歌詠み与えんと野に出でてともに歩けば跳ぶ跳ぶばった

浜に黄のインクを垂らす妻見つつ揺られ運ばれ街脱ぎ捨てる


杢太郎の生家を出でて山に入りぬ 鳴く蝉見つつ陽を浴びており


かぶと虫何知るために一度きりの夏をケースの内に送れる


オレンジのカンナを揺らし飽いてのち後土手駆け下りて我を抱く風

錆釘は深く打たれてありにけり焼け残されて立つ濡れ柱

白く白く夕闇吸える胸肌が部屋横切りて我が前に来る

流るとも見えずさざめく夏河の汀に黒き小櫛故立つ

タ涼みゆるらに開けゆく花をめぐりて闇となるや雀蛾

ブルーベリー初めて含み舌の上に消えゆく夢のひとつとなれり

愛してる愛してないの?「好き」なだけ? ――草原を行け、恍惚の問い

…あの納屋で三津雄は首を吊ったのさ、村はそれから富み栄えての…

 

かき氷ごりごり掻いてつくる子の麦藁帽もほつれ始めき

 

「この国は見知らぬ国ぞ…」目開けば夏夜の庭に誰か去る音


日の沈む頃に大空静まりてはかなきまでの水色の見ゆ


水を撒く音路地裏を響き来てこの夕顔も揺らし行くめり

 

容赦なく我責めなじる母といてインドへの旅劃し始めき

陽を吸えば澱みて暗き緑濃き沼死ぬ頃よ 窮まれる夏


燻しを焚いて窓々開け放ち意識の園に花求め入る


化粧紙はかくまで白くやわらかく失いしものを隠さんとする


風鈴のゆるがぬ音の我が耳を貫きてのち樹々揺れる音


夕闇の染む頃ふいに現実は時超え遠き君につながる


夏の夜はいそぎ過ぎゆく国電の音に日暮らし和する頃から


空のあの仄赤きあたり過ぎる鳥見ればこのタふいにかなしも


水銀灯飾りガラスに散乱れ光は水か… この夜涼しも

グールドのゴールドベルグ聴しのち心のうちに雪降り止まず

終わりなき休暇をとってこの世紀この国に来て四季を見ている

 

 


 

【初出】雑誌「かもす」第3号 1986年8月14日(発行人・かもす屋徳右衛門 編集人・駿河昌樹 参加者・川島克之/須藤恭博/阿藤参三郎)