1986年6月7日~7月30日 全84首
われらよりただ十五ばかり先んじて戦後史語る君らの時代
六月の昼顔土手に花咲く薄桃色のいのち見せたり
「鮮人の嫁などあたしごめんだわ」―六本木行く娘らの声
婚約の語は深き深き傷のごとしソウルに来れど君見出せず
李英愛在日の二世君が目の濁り忘れず生きんとぞ思う
愛こそはすべてと告げる歌遠く若者たちの浜に響ける
源に死なむか海を知り尽くし鮭さながらに激流も経て
カフェ・オ・レの色して降れる六月のモルタル塀を濡らす長雨
『最新版分子生物学事典』 蓼の葉ひとつはさみて閉じる
「おにぎりの早喰い競争大会を嘉手納の基地でやる」とボブ言う
「幻想」の語に倦み果て吉本を閉じる夜長の邯鄲の声
チュニジアにカルタゴの古跡訪ねし日 『日はまた昇る』で庇つくりつ
「ヒトデみたい!」喜ぶ子らの指の先二三秒ほどのペンタゴン消ゆ
世界地図買い来し夜は楽しかりまだ見ぬ国を財と思いて
友ひとりまた自死遂ぐと聞きし夜漂泊の心隠さじと決める
捨てられし学力テストの答案に「まごころ」とあり〇でなけれど
遠からぬところで何かあったらし…… 西瓜にも倦み耳を澄ませる
枯れた後なおも色変え乾きゆくサイネリアその長き茎筋
かがんぼは幾たびも熱き電球にぶつかりてなお光を求む
雑誌ひとつ買い来てページ繰らぬままニセアカシアの香の中にいる
何々のごとしと言えば言えなくもなし我が海の色盗む藤
白南風をさえぎる薄きこの壁を意識と呼ぶか窓と呼ばねば
「失いし時」求めたる小説や「来たるべき書」にも飽きたよ飽きた
履歴書に幾行か嘘を交じらせて面接という劇を待てる間
アボカドの種大きなりこの種を捨てねば芽吹くもの我にあり
アルバムを閉ざして冬の野に出でん眼の裏の海熱きまま
暑くあれば水求むらんまなざしの生き生きとして夏犬は過ぐ
芽吹きくる新しきもののためにこそ枯れるものあり梅雨の花群
桜葉の香を慕い来て梅雨闇の気に髪ふかく洗われている
この薔薇のつぼみの二三薄桃にやわらぐ頃ゆ遠雷の夏
しめやかに物語りせよ五月雨の低き雲行く時を記憶よ
しめやみにもの語れるか古き日の記憶よ梅雨の雲行く隙に
「わたくしのブルジョア」
花鳥図をしらじらと染む公園の焚火の煙に燻す美意識
歌びとら語れるものはみな歌につながりて止む 歌はかなしき
「愛」ばかり語りて経りし年老いし尼僧の影の毅然たる黒
新しき野菜を水に浸す手に時というもの流れずにあり
永遠の休暇をとりてこの世紀この国に出でて四季を見ている
「滞在」と言い換えるだけで生活はふいに旅上の軽さに溢る
梅雨切れて鉛の薄むごと明き雲見ていれば飽きぬ海空
蘭盆会果つ頃赤く月は出て桜紙抓む君の仄見ゆ
朝顔を抱えて駅に立てる祖母若き夏風白髪(しろかみ)を過ぐ
六月の終わりに買いし朝顔の蕾の白さいとけなきまで
一本の傘やわらかき若草の萌える原野に開かれており
「我々の頃は……」と語る中年の人あり ふいに車中かなしき
かぎつけて駆け寄り集う猫たちの餌待てる間の瞳の深さ
もぎたての余白の白さそれだけを眺めるために新詩集買う
ふと言葉よれてわれらを定義せりテクノに浮かるる資本主義者と
ひと雨ののち若竹はなまめいて長き小旗のごとき葉も褻(な)れ
自殺せる友に一輪春菊を捧げんそして黙り生くべし
此処にいま我打ち据える光来てこの午後夏は始まりにけり
維摩経繰り終える頃に晩秋の夜風の立てる裏木戸の音
履歴書を四五枚書いて破り捨て仕事仕事と詩帖に戻る
失いしもの余りにも多くして学びし仏語の詩など読みける
酒好む友に付合いこの夜をラフォルグ読まず我に戻らず
白鳳いう名の桃と履歴書を買い来て座る <社会>とは何
大手町のビル街歩き過ぎしのち革命せつに思い始めき
恋の歌詠み与えんと野に出でてともに歩けば跳ぶ跳ぶばった
浜に黄のインクを垂らす妻見つつ揺られ運ばれ街脱ぎ捨てる
杢太郎の生家を出でて山に入りぬ 鳴く蝉見つつ陽を浴びており
かぶと虫何知るために一度きりの夏をケースの内に送れる
オレンジのカンナを揺らし飽いてのち後土手駆け下りて我を抱く風
錆釘は深く打たれてありにけり焼け残されて立つ濡れ柱
白く白く夕闇吸える胸肌が部屋横切りて我が前に来る
流るとも見えずさざめく夏河の汀に黒き小櫛故立つ
タ涼みゆるらに開けゆく花をめぐりて闇となるや雀蛾
ブルーベリー初めて含み舌の上に消えゆく夢のひとつとなれり
愛してる? 愛してないの?「好き」なだけ? ――草原を行け、恍惚の問い
…あの納屋で三津雄は首を吊ったのさ、
かき氷ごりごり掻いてつくる子の麦藁帽もほつれ始めき
「この国は見知らぬ国ぞ…」目開けば夏夜の庭に誰か去る音
日の沈む頃に大空静まりてはかなきまでの水色の見ゆ
水を撒く音路地裏を響き来てこの夕顔も揺らし行くめり
容赦なく我責めなじる母といてインドへの旅劃し始めき
陽を吸えば澱みて暗き緑濃き沼死ぬ頃よ 窮まれる夏
蚊燻しを焚いて窓々開け放ち意識の園に花求め入る
化粧紙はかくまで白くやわらかく失いしものを隠さんとする
風鈴のゆるがぬ音の我が耳を貫きてのち樹々揺れる音
夕闇の染む頃ふいに現実は時超え遠き君につながる
夏の夜はいそぎ過ぎゆく国電の音に日暮らし和する頃から
空のあの仄赤きあたり過ぎる鳥見ればこのタふいにかなしも
水銀灯飾りガラスに散乱れ光は水か… この夜涼しも
グールドのゴールドベルグ聴しのち心のうちに雪降り止まず
終わりなき休暇をとってこの世紀この国に来て四季を見ている
【初出】雑誌「かもす」第3号 1986年8月14日(発行人・かもす屋徳右衛門 編集人・駿河昌樹 参加者・川島克之/須藤恭博/阿藤参三郎)