2020年8月26日水曜日

歌集「初夏集」

1988年6月16日 全23首

 


ロウレンス・ダレルの『クレア』初夏のわが胸壁の兵士下り来よ

 

エリザベス形而上詩群燃ゆる夏刺草かたく結腸を撫ず

 

潮の音数えてはまた目をつぶり浜宿についに開かぬニーチェ

 

緑陰のガラス玉演技ひとり愛ずる南の果ての幻の雲

 

ミッションを解かれし神父オレンジの花の白きをのちは愛すや

 

観念より生まれし風か今われがアルファ刻みし砂地吹き抜く

 

成熟にしばらくは遠きエジプトの葡萄拒むな蒼きくちづけ

 

葡萄蔓うなじに這わせ白亜なる廃園のヴェニス汝を欲らむかも

 

ゆくりなく頭めぐらす初夏の罌粟劣情を甦らすな

 

柱廊の暗きより出で滑りゆく光輝の蜥蜴蒼空を食め

 

物化せよと木株は迫る迫られてわが耳裏に籠る血潮は

 

金色の孔雀くぐもる初夏の声音こころの闇深きかも

 

革命は近しというや五月雨の辻公園に蘭裂かれたり

 

妻という言葉うつくし須磨の浦名も捨てて浜を駆けゆけよ妻

 

海鳥の屍黒き南風の磯よりの青き高き世界よ

 

あの遠き大型船が湾出ずるまで青くあれ心の乱は

 

波さわぐ時きわまれる静寂よ耳の根にくらき湖は湧くらし

 

海と森こころにつよく雪崩れ来る今宵しきりに酒欲らむかも

 

わが谷はみどりなりきと目を瞑る過ぎゆきしものはかくもうつくし

 

白樺の林を行けば風のごと立ちては消える我がかなしみは

 

過ぎゆくはアメリーの森サックスの林過ぐ他なきはかなしき

 

すみれ踏み下りて飲みし谷川の水なり過なるこころ鎮めよ

 

葉桜の散りいそぎせぬ山ひとり迷えば生きてあるはうつくし

 





【初出】雑誌「かもす Kamos」第12号[1988年6月16日]企画:駿河昌樹/川島克之/須藤恭博、編集/発行:駿河昌樹)