1987年12月 全46首
冬の愛
路に立ち背(せな)広く張りマッチ擦るカミユのパリへ戻らむか冬
遙かなる蜂起のニュース衰弱のつのる巨象の夢に厭く目に
屠られし食獣の胸の虚ろ見よ足らぬはいつも自己愛と知れ
冬の愛たとえればジャンヌ焚刑の前のその口欲りし兵士の
雁一羽日溜りに死してなお温しわれに白紙の来月はあり
敗北の種子熱く遠く籠りゆく冬であるべしうつせみの透く
歌う男描く男の細枠を越え得ずやわれ冬砂無尽
脳離りて
言葉狩りて雪原にひとり足跡を残してゆくか冬の狐よ
蚕煮る湯ほども清きいのちもて冬杉は無を貫きており
支流ひとつ迷いて暗き湿原にまだ果たし得ぬ約束がある
ネクタイ解く一閃の指湿原に昇る朝日を指さざれど指
脳離りてはるばる来ればこの日頃甕焼く人の憩いにも似て
この日ごろ霧ふかしわが脳髄はしばられて森に鍛えられんとす
戦争論止まざる冬の旅半ばいたずらに清き雪の鉄路よ
芭蕉七部集濠に落とせば沈丁花 香を病むわれに薄明はある
荏苒(じんせん)と生のわかれへ流れゆく ミクロの愛の記憶神速
ヘレニズム叢書崩れし後の超新星M 寂寥の石榴を開く
禁色の空に真向かうアルミ卓白き病もきわまりて青
青凪の光はじいて撓む竿継がむか狂気貫かむ初志
回春の罪負いて青きドナウ歌う老教授 われはただ愛を問う
破
真新しき原罪詰めしランドセル負える子らかくも黄の通学帽
話せば闇逃げれば虚無の宴果つ かくうらぶれてハチ公前過ぐ
青髭は剃り残すべし中世の霧立ち初むる昭和人ゆえ
METHODUSというラテン語にモ力の飛沫滲みゆくことの緩き
芯ふとき赤鉛筆と収録の語数少なき辞書、ロ笛と
庭土の暗きより湧く剣取らば 目となりて天の推移見よ柿
あんず煮る女あるべし吾が帰る海山の果て村の家には
海馬(とど)空へ上げる叫びをさみしきと思わずなりき冬過ぎて冬
愛ニグラム虚無三グラム同封ス狂気良好返書ハ不要
そういえば死んだってねと年の暮れ人群れの中ぽっかりと海
落とし紙一枚落ちゆく白き速度砂丘見るべき目を準備せよ
今日もわれ見出されずと日誌に書く西日美し蕩々と海
夢の山路
若き若き母なりみどり溢れたるかの野にわれをいざないしは
しなやかに四肢伸ぶる鹿に生(あ)りしわれ夢の山路のみどり霞に
大きなる露転がしてつわぶきの立ち直る朝いのち深かれ
輝ける七色の海渡るべし我と汝との逢瀬果てなく
携帯版世界全図に記し置きぬボスポラス愛の行程として
ひと夏の向日葵の種子取り終えて指熱きまま少年の夜
起こることすべてが君の人生さと子に言えば胸に湧く光る風
おのれ無きかなしさの谷深々と見下ろす時に熱きかな胸
八方の塞がれば心歌い出よ北方へ飛ぶ軍機一閃
人の世を逃れてすがし夢の野にいま雌狐は尾を振りて立つ
女ひとりわれを憎むと言い置きし若狭なる凪の海に逝きたり
死の後に再生はありと誰(た)が言いき冷たきままにチューリップ
一行に歌満ちてのち引きてのち猶あるわれをいかに生きむかも
われもまた行きて帰らぬ東雲(しののめ)のひとりの空をゆく鳥に
【初出】雑誌「かもす kamos」第11号[1987年12月29日](企画: