2020年8月26日水曜日

歌集 「他人の祭」

1987年9月 全14首

 


ヒースクリフ聞け

 

ただひとりの夢想家に過ぎぬわれなりき向日葵は重く高く枯れゆく

 

教室より雷雲は見ゆ過ぎゆくはこの夏もわれがわれである意味

 

ギルガメシュ神話を閉じてまなこ押さう終わるべし終われ終わりあるもの

 

ヒースクリフ聞け、荒れ野より隔たりて旧約繰らるる時の軋みを

 

剥製の梟の爪のかの黄なる染みの離れたる血へ森へ夜へ

 

黙ること黙ることなにも書かぬこと夕陽はかくまで重く輝き

 

こころ止まる。冬、空、黒き鴉らのせいにはあらず。渇く喉。水。

 

 


転生論

 

移りゆく大空の色に学びたる寛容と愛とつねなるものは

 

屋根静かに濡らす日暮れの雨音のなかあやまちて蜾蠃を打てり

 

おとろえし牡丹の園に殻を脱ぎし蝉を見てよりひと月を経ぬ

 

一冊の書物へと戻る朝まだきアラビカをほそくゆっくりと挽く

 

転生論信ずればすでに死後であるこの目が黒き死蝶をも見る

 

世はなべて他人の祭か翡翠の魚捕るさまを見る友を見る

 

きつく背を折りて死にたる足長き蜂書架に見ぬ夏旅果てぬ

 

 


 

【初出】雑誌「かもす Kamos」第9号[1987年9月](企画:駿河昌樹/川島克/須藤恭博、編集・発行:駿河昌樹)





                           

歌集「他人の祭」(1987)は、寺山修司調を脱皮していく最後の時期にあたっている。寺山調に見られないのびやかさがあるが、それはおそらく、この時期耽読していたル・クレジオのフランス語の口調から来ている。ル・クレジオは1980年発表の『砂漠』で豹変したが、そこから始まる、透明でやわらかい、大海の波の打ち寄せのような文体が、私の文体の模範となった。ル・クレジオの文体は、シャトーブリアンとピエール・ロチの文体の発見に繋がっていった。ヴィクトル・ユゴーの詩の文体や紫式部の文体に遭遇するのは、さらに後のことである。外国語の詩文から文体上の影響を受けると言えば奇異に受け取る向きもあるかもしれないが、形容詞や副詞の置き方や、作家の言葉選びの癖から生じてくる韻律のありようは、自国語のそれ以上に精神に染み込み、自分が書く文体を深く変容させるという実感がある。